<BODY>             全三井陸上競技大会の生い立ちと歴史
 全三井陸上競技大会は、戦後間もない昭和24年(1949年)10月、故田島直人氏
( 三井鉱山 1936年 第11回ベルリン五輪 三段跳び金メダル )等が中心になり、三井系7社
( 銀行、生命、信託、化学、鉱山、船舶、不動産 )の対抗競技という形で学習院のグランド
を借りて三井七社対抗陸上競技大会と称して第1回大会を行ったのがその始まりです。

 3年後の昭和27年に故上田弘助氏(三井化学),柏倉敬司氏( 三井鉱山),芦澤忠直氏(三井不動産)等
の尽力により「三井陸友倶楽部」が誕生し、初代会長には三井不動産の松平康邦氏が就任しました。
その翌年の昭和28年秋に陸連ヘッドコーチだった故織田幹雄氏( 1928年第9回アムステルダム五輪
三段跳び金メダル)を特別ゲストに招き個人選手権として「第1回浜田山陸上競技選手権大会」が
浜田山グランドで開催されました。
春の三井八社対抗はこれら8社の参加による大会がしばらく続きましたが、昭和 43年に三井物産が
大会に参加、さらにその翌年の昭和44年には三井精機、ユニバック、大正海上も加わり全部で12社となり
その後も大会に参加する会社が続きました。
一方秋の大会は当初から八社対抗に出場している8社以外の会社も参加して個人選手権として競技が
続けられましたが、昭和31年の第4回大会からは春の大会同様これらの会社による各社対抗戦に変更と
なりました。

 春の大会は参加チームが増えたことで昭和44年の第21回大会から「全三井各社対抗陸上競技大会」
に名称が変更され、同時に三井物産府中グランドに会場が移されました。
また秋の大会も対抗戦となった昭和31年から「全三井浜田山各社対抗陸上競技選手権大会」に名称が
変更されました。このように原則、春と秋の年2回の開催が三井陸友倶楽部の大会として定例化
しましたが、それぞれ始まった経緯が異なることから、大会の通算回数は別々に数えています。

 昭和44年の大会以降、春の大会は原則として三井物産府中グランド、秋の大会は浜田山陸上競技場
での開催が定着し40年間続きましたが、平成17年(2005年)に両グラウンドとも同時に閉鎖されました。
平成18年より、春は代々木公園内の織田フィールド、秋は慶応日吉グラウンドに場所を移しましたが
秋の大会は会場の変更に伴い大会名から浜田山が外され「全三井陸上競技対抗選手権大会」に名称を
変更しました。
その後、春の大会は会場の確保が困難になり、織田フィールド以外の会場も使用しています。

三井陸友倶楽部の発足当時は実施された種目数も限られていたことから競技は午後2時頃から半日
程度で実施されました。その後、壮年の部、女子の部を中心に徐々に実施種目数が増え、近年では
当初の3倍程度になっていることから開始時間も午前10時からに早められ、全日かけて行われるように
なりました。

                     
         田島 直人氏                          織田 幹雄氏
(第11回ベルリン五輪1936年三段跳び金メダル)  (第9回アムステルダム五輪1928年三段跳び金メダル)

2017年12月更新